おいおい

2005年2月12日
与えられている物よりも
奪われている物のほうが多いのは
損なんだよ。

分かれ
馬鹿。

僕の怖いもの

2005年2月5日
僕が居ないのに廻ってる世界に行って
僕が居ないのに元気でやってるかい?って聞いたら
僕は居ないことになっているので
誰も返事をしてくれなかった。

そんなことを妄想してしまうので
僕はそんな質問は聞けないのです。
俺はあんたたちみたいな人は嫌いなんだ
けど俺はあんたのことが好きなんだ。

努力と才能

2005年1月24日
私は断言できる。
世の中には努力では到底超えることが出来ない壁があると。
好きでどうしようもないのに、才能が追いついてこないときがあると。

私は断言できる。
努力した人間が何かをあきらめるとき、才能を言い訳にするのは決して逃げではないと。
壁の目前に迫った者にしか壁の高さは理解できない。

私は断言できる。
努力した人間が何かをあきらめるときは、悲しくも美しいものだと。
何かが燃え尽きる瞬間なのだから。

一年ぐらいたって

2005年1月23日
俗的な自分と脱俗的な自分が居て
今、しきりに葛藤している。

百年後に爪あとを残すか = 研究者として生きる
十年後に役立つか    = 開発者として生きる
今の流れに乗るか    = その他として生きる

この三つのことで悩んでいる。
勿論、時系列が現状に近いほど俗っぽくなっていく。

少なくとも今、私はどこにでも行ける状態にきている。
全ての準備が整ったら、あとは体験してみるだけだ。
体験こそが最上の知識である。

重い腰をそろそろ上げる。

じいちゃん

2004年7月5日 日常
今年から一人暮らしをはじめた息子を心配してか、頻繁に親から電話がかかってくる。遠く離れても親のありがたさが染みないひねくれた自分であるが、親から「おじいちゃんにも電話しなさいよ。」と言われて、思わず「じいちゃんて何歳だっけ?」と聞いてしまった。

じいちゃんは78歳だった。

そのことを思うと、少し悲しい気分になる。じいちゃんは俺が小さい頃からこの年になるまで色々してくれていたのに、俺は今からじいちゃん孝行に使える時間はもう、おそらくあまり残されていないと気づかされるからだ。明日、学校が終わったら電話しよう。そう思った。
私ニコルソンは、かつてガリクソンであり、サムソンでもありました。ガリクソンは都内の私立大学に通う身でありながら再受験を決意し、某国立大学に合格し、現在は古都に在住するニコルソンへと華麗な転身を遂げました。ニコルソンは怠惰な都会での生活に別れを告げ、心機一転、古都で健康的な生活を送ることにしました。だから日記を書くのです。

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